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念願のチーム初優勝!VC FUKUOKAとは?
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2023.03.10

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念願のチーム初優勝!VC FUKUOKAとは?

ツール・ド・フクオカでの興奮から始まったチーム運営

VC FUKUOKAで監督をする前は、東京でサラリーマンをしていたという佐藤信哉監督。
この世界に入った最初のきっかけは、31歳を過ぎた頃(2009年)ケガをしてそのリハビリをきっかけに、転勤先の福岡で自転車に乗り始めたこと。

そこからレースを目指したいと思う程の情熱が沸いたのは、2010年第2の故郷でもある福岡県で開催されたツール・ド・フクオカ。宇都宮ブリッツェンやマトリックスパワータグなどの国内トップチームが走っている姿を見て、純粋に「すごい!自分もここで走りたい!」という気持ちが大きくなった。

そこからの行動力が凄かった。どうしたら良いのだろうと深く悩むわけでもなく、「強い選手を集めればどうにかできるのではないか」という軽い気持ちと「九州から全国のレースに出場していけるようにしたい」という熱い気持ちで、2011年から自身が競技を始め、まずは奥様と2人で全国の遠征を始めていった。

(TOUR DE OKINAWA 2011 市民クリテリウムで優勝した佐藤監督)

2011年のメンバーは、佐藤監督と2~3名。レースのほとんどが佐藤監督の単独となるも、競技の魅力に引き込まれ「福岡にプロ選手、プロチームを作りたい!」という思いが強くなった。

その勢いのままに県内強豪選手を集めて「全国で戦っていける力が十分にある、一緒に挑戦しよう」とメンバーを募るためのプレゼンをした。しかし、その直後に関西への転勤が決定した。

選手を勧誘したにも関わらず一緒に練習できるのは僅かに月1回程度。そんな状況が続きながらも2014年 念願の実業団トップカテゴリーに昇格。喜びは束の間、戦える程の戦力は全くなく「井の中の蛙大海を知らずじゃないが、エリートツアーで強かったから通用するかもという気持ちで参戦した実業団トップカテゴリー。情けない程に洗礼を浴び続けた」と振り返った通りに、チームは僅か1年で降格した。

(2013年 佐藤監督のみ実業団トップチームのTeam MASSAに在籍。関西から遠隔でVC福岡の監督を行っていた)

座右の銘が「ピンチのあとにはチャンスがあり」という佐藤監督。それは降格の翌年 2015年にその通りとなった。エリートツアーで佐藤監督が個人年間総合優勝し、チームランキング2位のリザルトを残した。もちろん二度目の実業団トップカテゴリー昇格が決定した。

しかし、それと同時に「チームの法人化」という規約ができたことで、任意団体のチーム活動をすることができなくなった。そこで遂に会社を辞めて福岡県に戻ることを決意。そして、2016年福岡を拠点にした株式会社VCドリームスを立ち上げた。

(2015年、再浮上を目指してエリートでリーダージャージを獲得した佐藤監督)

多様性に富んだチームづくりを

VCといえば、下部組織の活動も活発だ。チーム(トップチーム・下部組織・ユース)の総勢は90人になるという。ここ数年、下部組織から毎年意識的に1~2名をプロチームに昇格させている。

「頑張ればトップチームに昇格できる!」という育成の取り組みが少しずつ知られてきて、最近では九州だけではなく全国各地から加盟の問い合わせが増えてきている。この取り組み・体制は、Jリーグでは出来上がっているチームが多くあるものの自転車界では、現状遅れている部分でありながら、VCは間違いなくトップクラスである。

VCはそれだけではない。東京パラリンピック 女子タイムトライアル、ロードレースで2冠に輝いた杉浦 佳子選手(現;TEAM EMMA Cycling)や、最近では2022年11月オーストラリアで開催された知的障がい者競技の国際大会で初出場・初優勝を果たした大谷 春樹選手も所属している。

下部組織や女子選手、パラなどがチームの知名度を上げてきているというほどに、多様性に富んだチームづくりに成功している。

若手にチャンス・可能性を与えられるように

JCL初年度の2021年、VCは本多晴飛のホワイトジャージ争いでリーグを盛り上げた。本多選手は、「脚質 本多」と言われるほどにトライアスロンで培ったスタミナとパワーでトップ選手も称賛するほどの走りを度々見せた。

入団当初、佐藤監督はトライアスロンを辞めるような条件は提示せず、のびのび走ってほしいことを伝えた。すると、成績がついてきたこともあり、どんどんロードレースにのめり込んでいったという。その年の活躍が実り、本多選手はTeam UKYO SAGAMIHARAへの移籍が実現した。

(宇賀隆貴選手(Team UKYO)とのホワイトジャージ争いでリーグを盛り上げた本多選手)

翌年、VCは渡邊諒馬選手がホワイトジャージを獲得した。ホワイトジャージは、U23以下で最もポイントを獲得し、次世代が期待される選手となり、将来を見据えた若手は全員がほしいと思う賞である。

そんな賞に2年連続で絡むことができた要因について佐藤監督は「厳密なオーダーは課さず、勝てるなら誰でも尊重する。選手層の厚いチームであればアシストにまわり勝利のチャンスがない選手でも、うちではチャンスがある。そういったチーム事情がタイトル争いの機会に繋がっている」と言う。

(2位以下に100P以上の差をつけてホワイトジャージを獲得した渡邊選手)

ようやく掴み取ったチーム初優勝

先日開催された「富士山サイクルロードレース2023」、優勝したのはVC横塚浩平選手。横塚選手は今年移籍2年目。昨年は、加入1年目で落車の影響なども起因してチーム内でも控え目でリーダーシップをとるような選手ではなかった。それでも持ち味の積極的な走りで、高知県宿毛市ロードレースで逃げに乗り渡邊諒馬選手の着順への貢献などを果たした。

そして2年目。シーズン前に実施したチームの沖縄合宿で佐藤監督がトレーニングリーダーに任命したのは横塚選手。練習メニューを組んだりトレーニングを引っ張っていくなかで、チーム内でも徐々に積極性がでてきた。

(高知県宿毛市ロードレースでチームカーから補給を受取る横塚選手)

そんななか迎えた富士クリテ。当日、福岡でスクール活動実施中の佐藤監督のもとに、これまでずっと二人三脚で歩んできた奥様から興奮気味の速報連絡が度々入った。
「ここまでの結果を想像していなかったから本当に興奮した。素人的な表現になるが勝ち方がカッコよすぎた!ラスト1周はもう何回見たか分からない」というほどに初優勝の興奮を味わった佐藤監督。しかし、それと同時に「横塚の優勝が自分も選手として走りたいという気持ちを大きくさせたが、自分のことのように嬉しい」と佐藤監督らしいコメントで喜びを表した。

(富士クリテで優勝した横塚選手 Photo:Kensaku SAKAI)

チーム立ち上げ10年を過ぎてからの優勝は、振り返ってみると道のりが長かったという。

しかし、時間はかかっているけれど、その間多くの選手やスタッフが関わり、道を作ってきた。それだけに時間はかかったかもしれないけど優勝できたことは本当に嬉しいと振り返る。

初優勝後、立ち上げ当初の無名で弱かった頃からのファンやお世話になった方など、本当にたくさんの方からメッセージが寄せられたことが嬉しかったという。応援してくれる方々の愛情を感じる優勝でもあった。

全日本選手権で結果を残す

他チームが外国人選手を補強でチーム力を上げてきている今シーズン。正直、JCLやUCIレースでの勝利というのは大変厳しいものだという本音もでた。

しかし、全日本選手権は、日本人だけのチームだからこそ、結果を残すことにこだわりたいという。そして今年初開催となる10月のツール・ド・九州。佐藤監督がツール・ド・フクオカでロードレースにのめり込んでいったのと同様に、地元レースに出場して、多くの方にVC FUKUOKAを知ってもらい興奮を届けたいと出場への意欲を語った。

そして、今はチームで育った若手がステップアップで他チームに移籍していけることも嬉しく思っているが、いずれは若手選手がチームに居続けてくれるチームにしたい。そのためにはお金が必要だから、運営にも力を入れていかなければいけないと、チーム拡大へ意気込みをみせた。